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アロマ、レイキ、徒然のことを綴ってゆきます
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テキストの資料作成で、昔の平均寿命というのが必要だったので少し調べてみました。これが非常に興味深いです。

資料『寿命』女子栄養大学出版部によると「縄文時代の寿命は、日大の小林教授の研究にもとづいて菱沼氏が作成した生命表によると、男女とも14.6歳であるという。縄文時代は約7000年の幅を 持っているが、その間死亡率は改善されなかったという。弥生時代、古墳時代にはいっても、縄文と殆ど違いがないといっている。室町時代では、菱沼氏の推定 では15.2才であるという。」だったそうです。もともとの資料を読んでいないので方法が分らず信頼度は不明ですが・・・。それじゃー、大人がいなくなってしまうと思いますが、これは当時の子供の死亡率が非常に高かったということに他ならないと思います。そもそも例えば沢山卵を産む動物の場合は平均の寿命といってしまったら0歳になってしまうでしょう。当時は生まれた子供の一部が大人になるという感覚だったのでしょうね。

それから「昭和30年に深川から、江戸時代のものと思われる人骨が200体以上発見された。この人骨を調査した結果、平均死亡年令は男子45.5歳、女子40.6歳であるという。」これは大人に成長して死んだ(原因が不明)部分ですね。しかし「また小林教授は長野県の宗門帳にもとづいて「江戸時代農村住民の生命表」を作成している。それによると平均寿命は、男子が36.8歳、女子が26.5歳である。我が国の平均寿命が20歳を超えたのは、江戸時代の中期にはいってからという。」とあります。つまり、この約10~15歳のギャップは赤ちゃんや子供で死んでしまった分が平均値を押し下げているということですね。

そして「明治時代では明治13年(1880)に男女とも30歳の関門を突破し、大正に人って初めて男女とも平均寿命が40歳を超えた」ということです。もちろん一家に生まれてくる子供の数は多かったわけですが、その分よけいに途中で死んでしまう確率もかなりのものだったのですね。

明治24年(1891)~昭和10年ぐらいまではちゃんとした統計がありますが、このあいだはほとんど変化がなく、男は43-45、女は44~47でした。その後、昭和22年に50歳♂、54歳♀、昭和30年には64歳♂、 68歳♀と大幅に伸びます。これはやはり戦後の西洋医療のたまものなのでしょうか。

子供が普通の出来事として死んでゆく、自分の人生も40とか50で終わり、というのはきっと今とは全然違った世界観、人生観を持っていたのではないかと、少し驚きの心で数字を見ていました。
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