アロマ、レイキ、徒然のことを綴ってゆきます
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ある時点からあまり動物とのかかわりが薄くなりました。それはセラピストになるかなり前でしたが、仲の良かったノラ猫が死んでしまった時からでした。腎臓が悪くなって、最後手術をしましたが死んでしまいました。動物の死は僕にとってはとても重いです。子供の時から動物の死に目には会ってきましたが、どれでも鮮明に覚えています。とっても悲しいことです。それでも、またかわいがろうとか飼おうとか気力が復活しますが、このノラ猫の時は精神的にかなり参ってしまって、自分としてはショックでしたし、自分自身を責めて悔やまれる点がいつまでも残りました。それ以来は、動物に関わるのは責任が伴うと痛感して、すこし距離を置いてしまいました。
生きものと関わるということは、つねにその死にも関わるということです。もちろん人間同士の場合も、その通りなのですが、相手と自分の寿命の関係から頻繁には死に遭遇しません。しかし、動物の場合は大抵は見取る側になってしまいます。オタマジャクシはその点楽ですというか、ズルなんですけどね。足と手が出てカエルになって放流しても、一体そのうち何匹が成長するのか・・・、数匹でも成長すれば御の字でしょうね。死んでゆく、あるいは食べられてしまうのを見取らなくても良いのです。 私は人生で後悔することは、非常に少ないのですけど、幼い頃からもしもレイキが使えていれば、自分が飼っていた生きものたちの生死も少しは違ったのではないかと後悔しています。 以上まとまりがありませんが、書いておきたかったので。 PR
そうですね・・・
私は、母を既に亡くしていますが、今の私(それなりの医学知識を持っているので)ならもっと長生きさせて上げられたかもしれない、癌をも治せたかもしれない…。と、悲しみの気持ちから自分を慰めるために思い込んできました。
でも、今、私はそこから解放されたようです。 いろんな動物たちは、まさきさんと出会えて幸せだったなぁって思うし、おたまちゃんたちも、こんないい人の元にきて幸せじゃん?今までの動物たちも、死んでもなお、自分の話しをしてくれる人が居るなんて、目一杯あの世で喜んでるわよ。(^O^)そんな気がします。きっと、成仏できていると思うし。 まさきさんが後悔して自分を責めたら、まさきさんに愛情を持っている動物ちゃんたちは悲しくなっちゃうかも…。死別の克服はたやすいものではないけれど、きっと、違った気持ちをもてる日も来ると思います。でなければおたまちゃんの育ての親になろうって思わなかったと思うし…。 そんな経験の中で、レイキをはじめ、さまざまな『救う手法』に努力が向けられていった人ですもの。そのために、動物ちゃんたちが自分の命を差し出してくれたのではないかな?素敵な動物ちゃんたちとの出会いに感謝ですね。あ、私も感謝してます。はい。
Re: そうですね・・・
おっしゃるとおりなんですけどね。亡くなった動物たちから守られている部分もあると思いますし。
「後悔」といってもあまり深いものではないですから(笑)。責めるというのではなくて、もしそうだったらという程度のものです。おっしゃるように今必要なのは感謝ですね! |
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