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アロマ、レイキ、徒然のことを綴ってゆきます
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今日は家族でとなり駅のラーメン屋で昼食。以前どこかでおいしいという書き込みがあったり、いつも並んでいたりと行けなかったので思いついていったらぎりぎりで座れました。入ってみるとこの店の売りは油ソバでした。

どうもこの近所は油ソバが多くて、この駅で二件、ウチの駅でも二件あります。しかし、油ソバ、僕はどうしても好きになれない。昔、一度食べて閉口しました。昨年、息子を連れて散歩がてらに近所の油ソバを食べたのですが、「うっ、これって食べ物なの?」って思ってしまいました。どうして、あー油っぽくして、ぬるぬるとした食感で、しかも味が濃くてガサツで・・・。

しかしこれが結構人気あるのですね。どうも理解できません。食べているのは学生のような若い人が多いですが・・・。世の中ではこういったものが結構人気あるんだって、思ってしまいました。

それで思い出したのですが、僕ってどうも、はやりモノとか人気のモノとかって、苦手というか、嫌いというか、イヤなんですね。まあ、あまのじゃく的な部分はあると思うのですが、それだけではないとも思います。で、そういったときに僕が感じるのは、社会に対する疎外感ですね。あー、僕の感覚は平均的じゃないんだって、どこか平均とずれているんだって。アンケートで統計処理すると僕の回答はゴミデータになってしまうんだって。

そういう自分の面って実はちっとも嫌いじゃなくて、他の人とは違うんだ、良いことなんだ、って思ってきたけど、でも心のどこかで寂しさというか、疎外感も実はあるのですね。その部分も自分なんだって最近自覚してきました。今日の油ソバでそんなことを考えていました。

ちなみに、その中華屋さん、ラーメンはまあまあ良かったですが、チャーハンはひどかった。しかし、今日は昼間は暑かったです。そんな1日でした。
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最近は電車の調子がよい、というか電車に乗っているときの気分が悪くない。たまたま気の悪い時間帯に乗ることが減ったせいかもしれないが、カウンセリングの勉強のせいもあるかも知れない。

以前は駅を歩いたり電車に乗ったりすると、出来るだけ人の気を避けてスタスタスタスタと歩いて、人をかいくぐっていたけれど、そういう場合には綺麗な女性しか目に入らない(爆)。しかしこういう波長だとカウンセリングやって人の世界に入って行けないのですね。

今は、どんな年齢やどんなタイプの人でも、男性でも、女性でも、できるだけ駅や電車でその人の気を感じるようにしている。もちろんセラピストとしてはこれは以前からクライアントさんにやってきたことなので気持ちのスイッチの入れ方だけなんだけれど。

ほんの一瞬、目をやって、その人の顔の表情や作りを受容して見る。そうして受容すると、いままで近づきたくなかった人でも受容できるので面白い。今この人がカウンセリングしに来たら、と言う気持ちになって目に入る限りの人を見てみる。これだとなかなか良い感じです。
いまは休日というのは週に一回になってしまっている。休日とは名ばかりで、予約がないだけみたいになっている。体が休めないままに、家族サービスをしなくてはならない、というか「しなくてはならない」という思考になりがちなほど、なかなかゆったりと休めない。

ところが今日は、何が違うのか全く分らないけど、朝のスタートが1時間ぐらい早かったせいかもしれないし、大きな懸案がなかったせいかもしれなけど、何となくのんびりと出来ました。事務的な処理は、早く終わってしまって、昼前から完全に休日モードになりました。

昼少し前から、これは本当に恒例なのですが、小金井公園に家族で行き、夕方近くになってまた帰ってきて、テレビ三昧(笑)。で、まだ日のあるウチに息子とお風呂に入れて、少しだけリッチな気分。

全く何気ない日でしたが、ゆっくり出来ました。
今日は朝いつものように、花に水をやり、庭の木の状態を見ていました。

昨年100円で買ったホンの小さな苗だったレモンユーカリは、今では2階の床ぐらいの高さに成長しています。そのレモンユーカリも冬はぎりぎりで越冬し、2本あった幹の小さい方は枯れてしまいました。でも、その枯れた幹の下から二本の新しい幹が成長して、庭の駐車場の方に張り出してきているのを、今朝気がつき、本当にやむを得なくばっさりと短くしました。

この剪定で、これまで書こう書こうと思っていたことを思い出しました。それは進化のことです。レモンユーカリの木はきっと、自分の中でその部分に幹を持つということをイメージしているのではないかと思います。冬に枯れた幹の代わりにやはりその部分から幹を出すデザインをその木が抱いているのだと思います。

僕は進化もそう言うことではないかと思います。ダーウィンの進化論では生物は単に突然変異したものが環境にあうものだけが試行錯誤的に生き残ったという考え方ですが、僕は違うと思います。生物は環境に合ったように、こうなりたいと思ったように、姿や機能を変えていったのだと思います。特定の環境にはどのように変化したら良いかというデザインが種の世代を通じて、体言化したのが進化だと思います。つまり試行錯誤ではなくてあらかじめこうだったら良いというデザインがあって、それに沿って進化したのだと思います。

進化とは全然時間のスケールも実態も違うと思いますが、スピリチュアルな能力のことを考えると何か共通のものを感じます。レイキの能力は「本来誰にでもある」のだから、「自分がレイキを送れる」と思うことによって、送れるようになるのです。つまりうまくレイキが送れるかどうかは能力の問題ではなく、その気になるかどうかだけです。半信半疑でも努めてその気になれば実現します。

ある意味「進化も本来誰にでも備わっている能力」ではありませんか!1世代では実現できないかも知れませんが、「進化できる」という気になって進めば世代を重ねて実は進化することが出来るに違いなのです。それには進化する方向のイメージを持って行くことだと思います。

なんか、とりとめもない感じもあります、今朝木を切って、思い出したことでした。レモンユーカリには「横でなくて上に伸びてね」というデザイン変更のお願いを送らなければなりません。
お盆明けの金曜日で、夜帰りは中央線でしたが、今日は思ったほど悪い感じではなかったです。まだ、お休みの人もかなりいて乗車人数が少なめだったかも知れません。やはり、なんか乗っている人全体の"気"ってあるように感じます。自分はそんなに悪い気分じゃないのに、その電車に乗ると悪い気をもらって気分が凄く悪化するというのがやはりあるように思うのですよね。

今日は取りあえず気持良く帰ってきました。でも僕にとっては中央線は修行の場みたいな感じの時があります(笑)。
別れた娘の誕生日が近いのでプレゼントを考えているのですが、毎年この時は七転八倒・悶絶です。

そもそも、もう長く会っていないので、現在の好みや興味も全く分らず、その分らないことにストレスを感じるし、送らないというのもなんかイヤだし、そもそも送ったものがどう処理されているのかも分らないという事もあり、向こうとしては迷惑だろうなという考えも当然浮かび、ちょっとしたイライラの時期です。

なかなか同じ境遇の人でないと分ってもらえない気持ちかも知れません。
今日は何もなく、早朝は久しぶりにスタバで勉強、そのあとはづっとパソコン仕事して、夜は心理のクラスへ。

今日はグループカウンセリングの話と実習。けっして苦手ではないし、グループカウンセリングの良い面はとても理解しているつもりだが、やはり自分を押さえている自分がいる。本来の自分だったらもっと別のスケールで反応するけど、集団というルールの中でスムーズに運用するために自分のかなりの部分はどうしてもコントロールしないといけない。

やはり個人とか多くても2〜3人のアレンジの方が自分が生かせると理解しているが、またこれも変わってゆく可能性がないとは言えないかも。
ウチのトリートメントルームにはレトロな振り子の柱時計があるのですがちゃんと動いています。カチカチとしっかり音がしますし、ボーンボーンと大きな音でなります。とても昔懐かしい音なのですが、さすがにセッションの時は振り子を止めます。

で、終わるとまた動かすのですが昔の時計というのはあまり針をぐるぐるやるのは良くないというのもあって、例えば午後10時に止めたら、夜の10時に始動するということをやったりします。

これで非常に面白いのは、「あっ、時計また動かさなければ」と気がついたときに、たまたま止めた時間とぴったりの時があるのですよ!今日は時計を止めたのは朝9時21分30秒だったのですが、時計を動かそうと気がついたのはなんと午後の9時21分30秒!別にその時間になるのを待っていたわけではなく、ただ「ふっ」と気がついただけなんです。これってめちゃくちゃ少ない確率で本当にビックリ。

実はドンぴしゃでなくても数分違いということは結構体験します。これって、案外時計が「おーい、動かしてくれ〜」って呼んでいるからだったりして・・・
息子はレイキ慣れしたせいか、今夜は「耳がかゆい・・・」と言ったので、「レイキしようか?」と聞くと「うんレイキする」とまことに素直。耳にレイキしていると、数分でさっと寝てしまいました。寝かしつける親としては「シメシメ」でした。リフレよりも安眠効果ありのようです。
うちの子は結局、片方の耳が重い中耳炎、もう一方の耳も軽い中耳炎でした。だから両方に腫れがあったのですね。軽い方はすでに完治しましたが、重い方はまだですね。でも今日はかなり良くなった感じです。

レイキも少しやりました。ウチの子は普段は頭部はいやがるのですが、手はかざす形で耳をレイキしましたが、全くいやがらずむしろ心地よさでげした。

僕は病気に対しては常に悪であるとは思っていません。病気は何かを教えてくれるし、人間の体は病気になるように出来ていると考えています。生理学的には体を使わないようにしていると不健康になるのと同様に、たまに病気になった方が体の免疫系に良い作用があると思っています。整体を生み出した有名な野口先生の著書を立ち読みしたことがあるのですが、風邪はかかって、体には風邪を治させるという仕事をさせた方がよろしいという考えで僕も全く賛成です。ただ、重度の病気にならないように注意深くありたいです。それから病気のスピリチュアルな側面としては、健康でいると健康の良さがわからないと言うことがあります。病気になると言うことは健康のありがたさや普段の幸せをかみしめさせてくれます。

今回、子供の中耳炎ですが、やはり妻も私も普段の観察や注意が不足していたと言う面はあったと思います。そういう警告ですね。また子供のことを思いやることで家族の絆を少しだけ深めると言う作用も感じました。

病気にかからないことが大事なのではなくて、「病気は悪いことだけではない」と口に出来るような健康管理が出来れば素晴らしいのではないか、と思いました。


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